絶対運命黙示録

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友チョコ文化についての一考察

 


  日本ではバレンタインデーに友チョコとして女性同士でチョコレートを贈り合う習慣がある。これはここ十数年の間に出来上がったものであり、比較的新しいものだ。

 


  そもそも、日本でバレンタインデーに女性から男性へチョコレートを贈る文化自体が戦前〜戦後あたりにできたものであるというのだからこの日本でのバレンタイン文化自体も欧米に比べて新しいものである。さらに、欧米では恋人同士がプレゼントを贈り合うのに比べて日本では女性から男性へチョコレートを贈るという点において特異なことである。これにはモロゾフをはじめとする日本のチョコレートメーカーの戦略が大いに絡んでいるということは周知の事実だ。

 


  ではなぜ女性同士で友チョコとしてチョコレートを贈り合う文化が出来上がったのだろうか。これに関する先行研究はないため不明なものであるが、恋人たちの日とされるバレンタインデーに恋人ではない女性から女性へ、友情の証としてチョコレートを贈り合う文化には注目すべき点がある。

 


  私はこの文化をシスターフッドレズビアン連続体への希求として捉える。本来友情と恋愛感情というのは不可分であり、女性同士の連帯は常にすでに求められ、実在し、不可視化されてきた。この友チョコ文化というのはその可視化のプロセスなのではないだろうかと考える。

 


  だが、これは公に認められた女性ジェンダーに限られてしまっているという点に問題がある。友チョコ文化はシスターフッドレズビアン連続体としてそういった女性たちには機能する一方でそうではない女性たちを取りこぼしているといえる。

 


  近年、小説家である柚木麻子はシスターフッドを描きたいと公言し、『文藝』ではシスターフッド特集が組まれるなど、シスターフッドに関しては注目を集めるようになってきた。しかし、吉屋信子松浦理英子中山可穂をはじめとするレズビアン(連続体)を取り扱う小説作品はすでに存在しており、文学の中では女性同士の連帯が描かれてきた。また、『メタモルフォーゼの縁側』や『かげきしょうじょ!!』、『おにいさまへ…』といったマンガ作品の中にもシスターフッドは描かれている。さらに、「百合」というカテゴリーに入る作品自体が女性同士の連帯を多く含んでいるという点にも注目すべきである。

 


  ずっと前から女性たちによって連帯は必要とされてきた。今、その声が大きくなったこと、友チョコという形で実践されるようになったということは、フェミニズムの流れの中で無視できない、重要なポイントなのではないだろうか。さらに、ここで取りこぼされてきた女性たちにとっても救いとなるような、より開かれたものとなることを私は願っている。

 


  大沢あまねによる『彼女×彼女』というマンガ作品の中では、トランス女性とシス女性の連帯が描かれている。この作品の中で、トランス女性である縁は「あたしは自分が寮にいるのは当然の権利だと思うので  皆に「ご理解」の「お願い」をする気はないです」と高らかに宣言する。だが現状ではトランスフォビックな言説に溢れ、シスターフッドレズビアン連続体が彼女たちを排除するためのものになりがちであることには注意しなければならない。異性愛規範を解体し、ジェンダーを開く一方で取りこぼされる女性たちについて、考え続ける必要がある。