絶対運命黙示録

だいたいツイッターにいます@wenoim

女同士の賭けの話をしよう

 

 女が女に人生を賭けること、それは「このひとのためならじぶんの人生すべてを投げ打ってもいい」となり、じっさいにそれを行動に移すことだとおもう。

 


 『少女革命ウテナ』で天上ウテナが姫宮アンシーにさいごまで手を伸ばし続けたこと、アンシーがウテナの手を取ったことはその象徴であるようにおもう。

 


 だが一方で青山七恵『すみれ』ではウテナになれなかった主人公藍子はその経験を語り、じぶんが物語を書くことによって「手をはなしてしまっただれかが、別のだれかにきっと救われる」ことを祈るように信じている。

 


 平庫ワカ『マイ・ブロークン・マリコ』もウテナになれなかったシイが主人公である。シイはウテナがアンシーにそうしたようにはできず、マリコの自殺を止めることができなかった。

 


 女が女に人生を賭けるのは難しいとされる。「女」とは従来男性の所有物とされており、女同士が手を取り合うことなどそのような社会では想定されていないからだ。

 


 だがわたしは見たい。女が女に人生を賭けるさまを。何度失敗してもまたやり直して何度だって手を取り合おうとするさまを。そうやって連続していく関係性が、物語が、わたし/たちには必要なのではないだろうか。男性の所有物から主体的な存在へ。連帯という名の命綱を携えて、きょうもあしたもあさっても、これからずっと先の先まで。

 


 だからどうか、いつか一緒に輝いて