『水星の魔女』を見た。1話目の放送開始直後から「令和のウテナ」と言われていたので見よう見ようとおもいながらも(ガンダムのことよく知らないし……)となかなか食指が動かず未視聴だった。
1クール目は全12話(プロローグも入れると13話)なので半日もあれば見られる。重い腰を動かして再生ボタンを押した。
感想としては、これでいいの……?というものだった。以下は視聴直後のツイートたち(ツリーにつづく)。
『水星の魔女』12話まで一気見しました 父と母の善性の描かれ方の差とか毒親性の違いとかにすげーミソジニー感じた(これからひっくり返る可能性あるけども)し、これは男の話であって私の話ではない、とおもってしまった
— みお (@wenoim) January 13, 2023
なんていうか、男の話だな、とおもった。第1話は「令和のウテナ」と言われているように「トロフィー」となる「花嫁」を巡っての決闘シーンで「花嫁」が立ち上がり武器を振るう。『少女革命ウテナ』が時を超えてやってきた感があった。この後の展開にすごくすごく期待した。『水星の魔女』では「ダブスタ」、「トロフィー」というように直接的なことばが多く飛び交い、「いま」だなあとおもった。家父長システムの破壊や親の呪縛からの解放を試みるミオリネとスレッタの話がつづくのだとおもっていた。
たしかに、「スレミオ」の歩み寄りというか、ともにあること、ふたりでたたかうことはほぼ一貫して描かれているのだが、その間に挟まれるエランや、グエル、シャディクによって「スレミオ」が「スレミオ」であることをおびやかされる。とくにエランの存在は大きく、スレッタが彼に心惹かれるような描写が多くひやひやした(百合好きのたわごとでもある。あと、エランはなんていうかすごく『エヴァンゲリオン』ぽいなとおもった。エヴァよく知らんけど)。
そして問題の12話Cパートである。SNS上では「これこそがガンダム」というような称賛もあったが私は絶対にこれを支持しない。11話までで積み重ねてきた既存のシステムからの脱出の様子を描きたいのならこれは完全に失敗である。
「やっぱり男が描きたいんじゃん」とおもわざるをえない。Cパートに至るまでの間も、「スレミオ」をたたかわせるなかで広げられるのは男性登場人物の事情や心情であることが多い。それに、男親は自身を犠牲にすることによって子との和解が成立する(呪縛から解放される)一方で、女親の呪いは根強く、ついにはスレッタをあのような行動に至らせてしまう。
Cパートのスレッタは不気味だ。母に言われたことに忠実に行動する、でも目の前にいるのが尊厳を持った一個人であることをわかっていない。
たぶん2クール目も見るだろう。だが、もう「スレミオ」は成立できない状況だとおもう。人間を人間としてみているミオリネとそれがわかっていないスレッタ。ミオリネの目の前で「それ」をやってしまった時点でスレッタが今後どんなに挽回しようとふたりが真に手を取り合うことは無理だろう。
ソツロンとシューロン(+αで大学院の雑誌に載せるロンブン)でアルテミジア・ジェンティレスキのユディト表象について扱ったわけですが ホロフェルネスを殺すという目的のために女ふたりが力を合わせているわけですが そしてそれがシスターフッド的に解釈されてきたわけですが
— みお (@wenoim) January 13, 2023
だからといって殺人や戦争がゆるされるわけではないし、男を殺す女の表象が奨励されるわけでもない、とゆーこと ユディトとアブラの表象はそれを表象することがゆるされる多様さの一部ではあるが男女平等とはちょっとちがうのだ、とゆーこと
— みお (@wenoim) January 13, 2023