私はずるい人間だ、と思う。たったひとつの言いたいことを幾重にも包装して相手に投げつける。ときどきはほかの人の言葉を借りたりして飾らせた言葉は、飾っているうちになにがほんとうに言いたいことだったのかを忘れさせ、そのたったひとつの言いたいことすら捻じ曲げてしまう。
ほんとうのことを話すのが怖いくせにだれかにそれを知ってほしくて話すのをやめられない。けれどもほんとうのことなんか話せないからそうやってぐるぐるまきになって捻じ曲げられた言葉を使ってしまう。だから私の話を聞いた人は私をいい人のように思う。ほんとうのことなんて話せていないのに。
きちんとほんとうのことに向き合って素直に話していたらみんなどこかへ行ってしまうんじゃないかと思ってただひたすら怯えている。しかしそれは孤独なことだ。ひとりはさびしい。だから話したい。でも話せない。
そうしているうちにぼろが出てひとりまたひとりと人が離れていく。ずるさを見抜かれてしまうこともある。
ずるい自分に向きあうのはたまらなく怖い作業だ。誰だって自分のいやなところは見たくないだろう。だがそうしないとまた同じことの繰り返しになってしまう。飾りのついた、ほんとうのことが捻じ曲げられた言葉を捨てるのはずるさに向きあうことにつながると信じている。
私はいいかげん自分のことをずるい人間だと認めて素直にならないといけない。たとえ下品な言葉になったとしても、たったひとつの言いたいことを飾るのをやめて、そのまま相手に差し出さなくてはいけない。そして残ってくれた人を大切にすればいい。大切にするのは飾るのをやめることから始まるだろう。