※ネタバレあります
今日は東京映像旅団の上映会を観るために西荻窪へ。特別のお目当ては袴田くるみの『ホロフェルネスの首を取れ』だった。ずっと研究していたアルテミジア・ジェンティレスキの幼少期のお話がアニメーションとして上映されるなんて考えただけでもわくわくするし、なにより時代考証が川合真木子なのだから、なにがなんでも観たかった。
作品は、ほんとうにこんなことがあったかもしれない、と思わせる話ですごくよい……とおもった。
舞台は1600年のローマ。犬のデッサンをしていた少女アルテミジアは謎のおじさんと知り合う。おじさんはアルテミジアに問題提起をおこなうと同時にアルテミジアの質問攻めに結構応えていて、アルテミジアはさまざまなことを目の当たりにしていくことになる。女は、女というだけで暴力に遭う。いまはわからなくても、いずれ嫌でも知らされることになる。
絵がかわいくてとってもすてきだなとおもうと同時に、これからアルテミジアになにがあるかを知っているから余計につらい気持ちもあり、とても感情がぐちゃぐちゃしている。
アルテミジアがカラヴァッジォの《ホロフェルネスの首を刎ねるユディト》を見て、「こんなのでほんとうに首を切れるわけがない」と言ったり、アルテミジアがロールモデルにしたとされる、ミケランジェロ・ブォナローティの名前が出てきたりして、のちのちへの伏線になるであろう箇所がいくつもあって、それもよかった。謎のおじさん(カラヴァッジォ)が、いなかったことにされないためにベアトリーチェ・チェンチをモデルにユディトを描いたのだというところも象徴的。
アルテミジア・ジェンティレスキといえばユディト作品、といわれるくらいに、アルテミジアとユディトは深く結びついている。だからこそ、カラヴァッジォのひとことがきっかけになったとしても、アルテミジアにはアルテミジアの方法でユディトを描くことをじぶんのものにしてほしいとおもった。謎めいていて無骨でえらそう(そして「偉大」)なおじさんのひとことでアルテミジアのこれからが決定づけられてほしくないともおもった。
上映後に袴田さんと川合さんと楽曲制作の方とすこしおはなしができてよかった。つづきがたのしみ。