絶対運命黙示録

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〈反婚〉のススメ

 

 今日、私は従兄の結婚式に参列した。近い親類のみでの小さな式であり、そのうち婚姻関係を結んでいない女性は私ひとりであった。

 


 私は今日を迎えるまで、ずっとピリピリしていた。理由はブーケトスだ。ブーケトスを受ける相手は私しかいないし、たったひとりで見世物になるのがほぼ確定していたからだ。

 


 しかし、ブーケトスはなかった。やったぞ!これで見世物になることなく平穏に一日を終えることができる!

 


 が、直接手渡しされた。トスというかたちでなくともブーケを受け取ることになってしまったのである。

 

 そもそも私は婚姻制度自体に反対の立場をとっている。男女が一組になるだけで諸々のお得な制度、保障が受けられることがおかしいと思っているし、そういう仕組みは異性愛規範によって支えられており、同性との婚姻を望む者やひとりで生きていきたい者を排除しているといえる。ひとりひとりが自由に受けられる制度、保障を選ぶことができ、ひとりでもお得でいられる状態こそ私の理想だった。

 


 ただ、それには社会文化的イデオロギーの解体が必要であるし、なにより法制度というハード面の整備が必須である。私/たちは婚姻関係を中心とする「家族」をつくることを「普通」とするイデオロギーのただなかにいる。「普通」でないものを排除するよう社会的に枠組みをつくられている。

 


 堀江有里は「『結婚』をめぐる法制度での保護や、それを支える社会文化的な価値観を問うこと、また一対一というユニットを中心として『家族』を形成することを"当たり前“とするあり方を問うこと」を〈反婚〉としている※。私はこの問いこそが私/たちを救うと考えている。私/たちにはずっとこの〈反婚〉が必要とされてきたのではないだろうか。

 

 

 

 話は変わるがブーケトスには「幸福のおすそわけ」という意味がある。結婚し妻(ときには母)となることを「幸福」としてしまうこと、その「おすそわけ」が見世物的に演出されてしまうことには異を唱えていきたい。この見世物性は既婚/非婚を勝者/敗者としてしまい、他者によって一方的に女性たちを評価づけ、分断することにつながっている。

 


 だからこそ女性から女性に「幸福」を渡そうとするとき、またはそれを受け取るときのまなざしの双方向性には注目したい。「幸福」の定義さえ変われば、見世物としての演出さえなければ、〈反婚〉さえ意識されていれば、このブーケを渡す/受け取る瞬間には女性同士の祝福による絆があると信じていたい。

 

 

 

 とりあえずブーケはドライフラワーにした。

 

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※堀江有里「〈反婚〉試論 家族規範解体をめぐる覚書」p.193