私はうつで、本がなかなか読めない。必死で文字を追っても目が滑って内容が頭に入ってこない。それでも調子のいいときには少しだけ読めるようになる。
本が読めない間、私はさまざまなことに想いを馳せる。今日もどこかで差別がおこなわれ、ひょっとすると自分もそれに加担してしまっているかもしれないこと、差別にNOを言っていくにはどうすればいいのかということ、人が人として尊重されるにはどうしたらいいのかということ、世の中が生きやすいものであれと願うこと……。
そうして色々考えるとき、もう何年も前、うつになる前に買って読んだ本についても何度も何度も考えてしまう。そのうちのひとつが青山七恵の『すみれ』だ。
叩き上げで編集者になった母を持つという点で主人公藍子と私はよく似ている。どうしてもうまくいかないことがあっても母をロールモデルとすることを求められ、でもうまくいかない。そもそも母と私はは違う人間なのだから出来不出来が違っているのは当たり前なのだが。
しかしそういうのもしんどい。母のようになりたいのになれない自分との葛藤、進路への不安が中学3年生の藍子にはのしかかってくる。
そんな中に突如あらわれるのがレミちゃんである。彼女は藍子の両親の大学時代からの友人であり、ときどき顔を出すだけだったのがいつのまにか居候していた。
藍子の両親曰くレミちゃんは学生時代凄まじいほどの文才があってエネルギーに満ちていたが途中から折れてしまったという。
レミちゃんは藍子の両親のことを「パパ」「ママ」と呼ぶ。そのことに疑問を抱く藍子に対しレミちゃんは「だったらなんて呼んだらいいの、あんたのパパとママを、あたしが呼べるような名前を、あの人たちはもうくれないんだもん」と涙ぐむ。藍子はそれを見てレミちゃんを「ちょっとおかしい、ふつうの人と違う」のだということを理解し、努めてレミちゃんのそばにいようとする。
しかしそれは結局失敗に終わる。レミちゃんの恋愛模様を目にした藍子はレミちゃんから離れてしまう。藍子はレミちゃんに恋愛感情に似たような気持ちを持っていたのではないかというのはわたしの邪推であろうか。
その後、さまざまなことが重なりレミちゃんは藍子の家を去る。
藍子の中にはレミちゃんが残り続ける。結果として藍子は自分の目標通りの高校に進学し、大学を出た後は中学時代から目指していた福祉の仕事に就く。そしてその一方でレミちゃんにしか打ち明けなかった秘密、小説家になりたいという夢も叶えてしまう。
本作品の最後、藍子はレミちゃんに語りかける。藍子とレミちゃん、もう二度と重なることのないかもしれない人生で相手のことを想い続けることは途方もないことだ。藍子がずっとレミちゃんのことを想い続けていたということは、藍子からレミちゃんへの絆が途切れることなく未来に開かれたという意味で非常に意義深いことであろう。
しかし一方でレミちゃんのほうはどうであっただろうか。この作品は藍子の視点からしか描かれておらず、レミちゃんがどう思っていたかは最後までわからないままだ。
藍子を共犯者にしようとしたり、受験勉強以外のことに精を出すよう仕向けたり、レミちゃんは勝手だ。ずっと年下の藍子に甘えている。
レミちゃんのような人は世の中にたくさんいるだろう。もしかしたら私もそのひとりかもしれない。誰かに甘え、世界に甘え、それでも何かに抗おうと必死に生きている。そういうふうに生きていても大丈夫だよと誰かに言ってほしいとずっと思っている。
レミちゃんは藍子に最後「あたしの本当の本当の友達は、今までも、これからも、あんた一人だけ。だからお願い、藍子だけはあたしを忘れないで」と告げる。
レミちゃんが本当は何を考えていたかなんてわからない。わからないが藍子とレミちゃんの間には確かに絆があったのだと思っていたい。
どうか藍子の言葉がレミちゃんに届きますようにと願わずにはいられない。