絶対運命黙示録

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リスカしないとたたかえないー『キルラキル』における「変身」と「母殺し」ー

 


 2013-14年のアニメ『キルラキル』は娘(たち)による「変身」と「母殺し」の物語である。

 


 ここでの娘たちは鬼龍院皐月と纏流子、針目縫である。彼女たちは鬼龍院羅暁を母としている。

 


 本作品において服は重要な位置を占める。なぜなら羅暁の経営するREVOCS社によって全世界のほとんどのシェアを誇る服は生命戦維という宇宙から来た生命体がわずかに織り込まれているからだ。この生命体が着られることによって人々は羅暁のコントロール下に置かれる。さらに皐月と流子が通う本能字学園の制服は星のついた極制服と無星の制服とにわかれており、極制服にはその星の数に応じて量を調整された生命戦維が織り込まれている。

 


 生命戦維とはただそれを着た人々をコントロールできるだけではない。極制服においてはそれを着ることによってその人のほんらい持つ力が増幅され、その力の形態によって服は姿を変えることができる。

 


 主人公である流子は父の遺した生命戦維100%のセーラー服「鮮血」を着る。鮮血は流子が彼女自身の血を吸わせ、「覚醒」させることによって「変身」する。

 


 このさいの「変身」は流子がリストカットすることによって達成される。なにもカッターを取り出してリスカするわけではない。リスカのように鮮血の手袋のトリガーが引かれ、針でその血が吸い取られることで達成されるのだ。ここでリストカットする(ようにみえる)ことは重要である。

 


 松本俊彦によると、自傷行為は、「自殺以外の目的から、『これくらいであれば死なないだろう』という非致死性の予測のもとに、客観的にも致死性の低い手段を用いて自らの身体を傷つける行為」とされている(https://journal.jspn.or.jp/jspn/openpdf/1140080983.pdf 984頁)。

 


 だが、思春期の少女による自傷行為はそれ以上の意味づけがなされる。第二次性徴での女性ホルモンとの関係性を考えられ、あたかも「通過儀礼」かのごとく扱われる。また、「メンヘラ」像の多くをかたちづくるのも思春期の少女による自傷行為である。流子の「変身」方法は自傷行為と思春期の少女がたびたび結びつけられて考えられているということの証左である。

 


 また、「母殺し」に関してはじっさいに娘たちによって羅暁が殺されるわけではない。羅暁は自害する。しかし、「母殺し」とは物理的なものではなく、あくまで精神的なものだ。

 


 本作品で羅暁は娘たちの性までもを管理しようとする典型的な毒親である。その羅暁は皐月と流子によって「倒すべき相手」として認識され、「敵」となる。最終的に羅暁は倒され「母殺し」は達成されるのだが、これは「父殺し」のジェンダーをたんに反転させただけなのではないだろうか、とも考えられる。

 


 一方で女同士にありがちとされる「ドロドロした」確執がなく、爽快に描かれている点は実に見事だ。「父の介入」が挟まれることにより「母殺し」が達成される点を考えると、女同士であることによる固有性と同時に「母娘もの」にありがちであった「父の不在」が解決されるというのもある。「父」による「母」へのミソジニーが気になるところではあるが。

 


 こうして皐月と流子による「母殺し」が達成される一方でもうひとりの娘である縫は「母殺し」ができなかった。これには「父の介入」がなかったから、という意見も見られたが確かにその通りであろう。縫は母に従属する者として終わってしまった。

 


 真に「母殺し」が達成されるための「父の介入」については今後も考えていく必要があるであろう。