絶対運命黙示録

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国際女性デーにミモザが買えなかった女より

 

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2022年3月8日。

 


 ウィメンズマーチの集合場所へ向かう前に花屋をみていた。国際女性デーのシンボルとなっているミモザを買うためだ。プラカードの代わりである『女子力の遺影』は持っていたけれど、抱えるほどのミモザも持てたらどんなにすてきだろう、と考えていた。

 


 わずかな1束が千円以上もした。渋谷には花屋はいくらでもある。でもそのどこでもミモザは高かった。とてもではないが抱えるほどなんて持てない。買えない。

 


 どうして国際女性デーにミモザを買えないのか、と悲しくなりながらマーチに参加した。それでもマーチにはたくさんのひとが参加していて、みんなで声を張り上げてシュプレヒコールをするのは力づけられた。

 

 

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ウィメンズマーチ当日の私。マスクには尊厳の象徴としての薔薇のタトゥーシールが貼ってある。

 


 当時は職についていなかったから、祖母たちから貰ったいくばくかの個人資産を切り崩してお小遣いにしていた。その資産には限りがあって、実家暮らしでなければすぐになくなってしまう額だ。ミモザを買う余裕はない。

 

 

 

2022年7月4日。

 


 自民党本部前でのデモ。この日は尊厳の象徴として、また、多様性の象徴として虹色の薔薇を買うと決めていた。だが、虹色の薔薇はどこにもなくて、代わりにさまざまな色の薔薇を5本買った。その日の薔薇は一本350円くらいで、やっと決まったバイト先のお給料で余裕を持って買うことができた。

 


 嬉しかった。花を買う、それだけのことなのに、どうしてあんなに嬉しかったのかわからない。薔薇はべつべつに包んでもらって、その日デモに参加した友人たちに配って回った。

 

 

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私の分の薔薇。

 

 

 

 花を買うという行為は、政治的行為であるが、現状ではきわめて特権的な面を持ってしまう。国際女性デーのときの私のように、花を買う金銭的余裕すらない場合があるからだ。

 

 

 

 私は、さいきんになってよく花を買う。バイトを休職している現在だが、わずかばかり、買う。花を買えなくなったら耐えられないとおもう。そして、この行為が特権でなくなればいいとおもう。

 


 だれもが花を買えるようになる日を強く願いながら。