フィクションに支えられてきた。どんなにつらいときもフィクションのなかに飛び込めば架空の存在たちが私を後押ししてくれた。でも、もうそれも無理かもしれない。
他人というには愛着が湧きすぎた相手との別れや、自身のどうにもならなさ、世の中にはびこる欺瞞や不正を前にして、どうしても逃げ出したくなったとき、そこにあるのはいつもフィクションだった。
じぶんなんか大嫌い。平気でうそをつくしわざと悪意をひとにぶつけてみたりする。醜い。だからひととの縁が切れるたびに嬉しくなるじぶんもいるけど、あなたが縁を切った私は私であることをやめられないのに、どうして一緒にいてくれないの、と相手を不当になじるじぶんもいる。
めちゃくちゃ逃げ出したい。
こんなとき、いつもならフィクションに逃げる。助けて、野島聖!!
突然だがここから野島聖の話をしようとおもう。野島聖は『かげきしょうじょ!!』という漫画の登場人物である。私は野島聖が好きで好きで仕方なく、フィクション界においてたぶん一位だとおもうくらい好きだ。彼女のすこしさめたような目も、意地悪を考えてはほんとうにそれを実行してしまう底意地の悪さにプラスされた行動力も、それらすべてをゆるしてしまえるほどにだれよりも舞台に恋していた姿は魅力的のひとことではいいあらわせない。
だが、野島聖は報われなかった。それは野島聖がわるいのではなくて、周囲のままならなさや、タイミングのわるさが重なってしまったがゆえのことだ。だれも悪くなかった。強いて言うならば彼女をサポートしようとしなかった(できなかったのかもしれない)劇団のおとなたちだ。
私は、いつも野島聖に涙しては前を向いてきた。野島聖、私がんばる、と言いながら生きてきた。しかし、それってほんとうに野島聖をおもってる?たんに自己憐憫をやわらげるための相手として利用してない?
そうだ。結局はじぶんより「かわいそう」な相手を探して、じぶんはまだマシだ、大丈夫なんだと言い聞かせたかっただけなのだ。ごめんなさい、野島聖。
だから私はフィクションとの距離のとりかたがわからない。さらには現実にいる人間との距離のとりかたもわからない。フィクションとの向き合いかたがわからない。現実との折り合いのつけかたがわからない。わからないことだらけだ。「ただしく」逃げるためにはどうすればいい?