絶対運命黙示録

だいたいツイッターにいます@wenoim

中心からはずれた場所で生きる


 駅にいくつかのビルが併設されていて、平日の昼間でもすこしはにぎわいをみせている。だが、一歩出ると、途端に人通りが少なくなり、車の往来が増える。しばらく歩くとシャッターストリートとなった商店街、学校、住宅街が見えてくる。よくある地方都市の光景だ。そこからさらに車で30分ほど走らせたところに、私の家はある。最寄りの駅までは車で15分、市でいちばん栄えている駅までは車で30分。2年後に小学校、中学校がそれぞれ統廃合を控えていて、私の母校はなくなる。見渡す限りのネギ畑と、ときどき牛舎。ぽつぽつと点在する家々。

 それでも、電車に乗ればかんたんに「中心」に行けてしまう。1時間ちょっとで、川をひとつ越えるだけで。

 


「中心」にはなんでもある。渋谷や原宿といったわかりやすい流行の発信地から、皇居や国会議事堂という国全体にかかわる権力の中枢まで。

 


 だから「中心」に飢えて飢えて仕方のないひとのことがわからない。「中心」はいつでもすぐそばにあるから。それでも、私は「中心」の人間ではない、とおもう。かなしいほどにネギの匂いと牛の鳴き声に覆われたところが私の故郷であり、棲家なのだから。

 


 小学校から高校までは地元の公立校に通った。大学は関西の私立を選び、「中心」の大学はほとんど受けなかった。親の出た大学に行ってみたいというのが主な理由だったが、「中心」に通うのがこわかったのかもしれない。

「中心」ではなにもかもがあたらしくて、ださい、垢抜けない自分を出すのがこわかった、だから地方の大学を選んだのかもしれないな、といまになってときどきおもう。

 大学院も「中心」とは反対の隣の県だった。

 就職が決まり、はじめて「中心」に通うことになった。転職をいくつか繰り返したが、それでも勤務地はずっと「中心」だった。

 


「中心」のひとたちはよく土地の話をする、というのはこれまでの短い経験で得た雑感である。どこどこに行くとあれがあるとか、あそこは土地が高いとか。あらかじめ決められたコードがあるように、「中心」では場所によって服が変わるし、当たり障りのない会話といえば土地の話だったりする。

 


 ことしの5月に入ってまた転職した。今度は「中心」ではなく、地元の、小さな出版社である。私はフリーランスというかたちで業務委託され、文章の校正などをしている。「中心」に通わなくても、なんなら家から出なくてもよいことになった。

 これで「中心」とは無縁になったかというとそうでもない。イベントごとはいつも「中心」で開催されるし、お芝居も、展覧会も、開かれるのはいつも「中心」だ。おおきな文化にふれるには「中心」に行くしかない。

 


「中心」に行くと、いつも地元との格差についてのおどろきと、そこに比較的簡単にアクセスできるという優越感がないまぜになる。「中心」はそれだけで特権である。

 


「中心」からはずれた場所で生きてゆくのだということ、それでも「中心」には近いのだということ、じぶんのなかにアンビバレントさを抱えたまま、私は生きる。