"〇〇さんのような短歌を詠める人間になりたかった"、"△△さんのように緻密で鋭い批評が書けるようになりたかった"、とおもうことが多々ある。
私が修士時代をほとんどドブに捨てるような生活をしていたのもそうかんがえる理由のひとつかもしれない。ほんとうは、そのひとたちにもそのひとたちの苦悩があって、たいへんなこともたくさんあっただろうに、きらめいてみえる一片を掬い取っては羨んでしまう。こんなことは暴力でしかない。私は、そのひとたちに暴力的な欲望を向けているのだ。
私はいつだって他力本願だった。"いつかだれかが私の才能に気がついてくれるはず"と信じてやまない。その"いつか"なんて永遠に来ないかもしれないのに。
だから、書いて出すことにした。ツイッターで、ブログで、同人誌で。いつか。ほんとうにいつかでいいから誰かに私のことばが届いてほしいと願ってやまない。
小説を、書いている。恋愛をしないレズビアンが登場する。私はこの作品を通して、どんなセクシュアリティであろうと恋愛しないという選択肢があることを示したかった。うまく書けたかどうかはわからない。それでも、私は書きたいとおもうこと、書かなければならないとおもうことを、書き続ける。
いつか、たったひとりでもいい。そのひとのこころにのこることができたのなら、私も生きていてよかったとおもえるんじゃないかとかんがえる。
暴力的な欲望を見つめ、それから手をはなす。それがほんとうの意味でできたとき、私は真に自立できるのではないだろうか。