絶対運命黙示録

だいたいツイッターにいます@wenoim

休職日記② まなざすこと


 きのうは東京で宝塚をみてきた。職場のひとに遭遇するかもしれないから、都内に出るのは緊張する。仕事をしていないのに娯楽はしていて、(療養中なのだからできることをしているだけいいのだろうけど、)うしろめたさがある。

 


 雪組の『蒼穹の昴』をみた。西太后が大きな比重を占めていて、ただの悪者として描かれていなかったのがよかった。そして伊藤博文の「死ぬより生きるほうがむずかしい」というような台詞にうんうんとなりながらフィナーレまでをみてきた。

 


 ところで、なんらかの欲望の対象として相手をまなざすことは、暴力をともなう。相手に対して価値判断をしているということだし、それは敬意に欠けた行為にはいる、と私はおもっている。

 宝塚をみるという行為は、ひじょうに暴力的だな、とおもっているが、みんなそのことについては無頓着なようにみえる。舞台上にタカラジェンヌがいて、彼女たちを私/たちは価値判断しているというのに、オペラグラスを使ってまでみつづける。

 だからはじめてストリップをみたときに、だれもオペラグラスを持っていないことにおどろいた(劇場のキャパ的な問題もあるが)。

 


 それでも私が宝塚を、ストリップをみてしまうのは、演者との「視線の交歓」があるからだとおもう。私が宝塚/ストリップをみるとき、演者もまたこちらをみている。そこにはつねに相手へのリスペクトがあってほしい。そうでないと一方的な暴力となってしまうのだから。