絶対運命黙示録

だいたいツイッターにいます@wenoim

私しかしらない

 


 「これがほんとうの〇〇だ!」とか「これこそが真の〇〇の姿だ!」とかそういうことを謳った本がよく出回っている。そのおおくがむかしいたひとについてのもので、たいていは研究者のひとがかいている。

 


 あるひとについて調べて論じるのはすごくむずかしくて根気のいることだとおもう。私も研究者の端くれだったことがあるからなんとなくわかる(「わかる」ということばはあまりつかいたくない、おおくのことをかくしてしまうとおもうから)。でも、そのひとについて「ほんとうの」とか「真の」とか、どうやったらいえるんだろう。

 


 じぶんのことはじぶんにしかわからない。それに、じぶんだってよくわからないことがたくさんある。それなのに、そのひとがどんなニンゲンだったのかとかをさもしっているかのように流布するのはいかがなものかとおもう。

 実際にあったエピソードは実際にあったエピソードで、それは事実なのだけれど、そこからそのひとのニンゲン性を暴き出すなんてことがあるのは、こわい。

 


 『燃ゆる女の肖像』という映画がある。そこでは画家と画家に描かれるひとというふたりの女性が恋に落ちる。当時の女性の画家が置かれていた立場や、女性同士で生きていくことの不可能さをえがき出していて、とても見ごたえがある。

 この映画はフィクションなのだけれど、たぶんこんなことはありえたかもしれないな、とおもっている。そのありえたかもしれない過去を掘り返すこと(かのじょたちをいなかったことにさせないこと)はとても重要なことだ。いたはずのひとを歴史から抹消してしまうことほどおそろしいことはない。

 


 しかし、そこからそのひとがどういうニンゲンかを、どうおもい、どうかんがえていたのかを憶測だけでそれが事実かのように語ってはいけないとおもっている。

 そのひとがいろいろとかきのこしている場合もおおくある。だけどそれって真実なの?

じぶんのことはじぶんにしかわからないし、わからないことだってある(たいせつなことなので2回いう)。わたしがかいている文章だって、すこし盛ったり、ごまかしたりしている部分がいくらかあって、私からみても「真実」ではないとおもう。だからいくら資料を揃えようができないこともあるのだ。