絶対運命黙示録

だいたいツイッターにいます@wenoim

じぶんを愛せない私への手紙


 お元気ですか。きっとそうではないでしょうね。だって私はいま、じぶんを愛せていないから。じぶんを愛さなくてはいけないなんてことはないのだろうけれど、この先ながいながい年月をじぶんとしてやっていくにはなんらかのかたちでじぶんを肯定する必要があって、そうしないととてもじゃないけどやっていけそうにないから。じぶんを肯定することがじぶんを愛することとイコールではないともおもうけど。

 


 私がなぜじぶんを愛せていないのか、いま現在の状況から判断して分析してみます。

 いま、世界のあちこちで戦争や、虐殺が起きています。私は時間があって、体力もわずかながらあって、状況を調べたり、どこにどう支援したらいいのかの判断ができる状態にあります。そしてデモに行くことも。しかし、私はそうしていません。布団の中で眠りこけることしかできていないのです。できることがあるはずなのに、できていないのです。

 ほかにもあります。たとえば私の好きだった劇団について。私は10年以上その劇団の追っかけをして、ある程度の内部事情を知っていました。そこはパワハラの温床でした。私のすきなひとがなんらかのかたちでそういうことに加担していた、もしくは被害に遭っていたことはわかっていたはずなのに、ずっとだんまりを決め込んでしまっていました。その結果、取り返しのつかない事態が起きてしまいました。私はもうその劇団を無条件に肯定したり、応援したりできません。それなのに愛はあるのです。執着かもしれません。

 


 なんだかんだ言いつつも私は結局私のことを愛しているのかもしれません。でも、どうしても受け入れられない、認められないぶぶんが確かにあります。

 


 課題図書を出そうとおもいます。竹村和子の『愛について』とロクサーヌ・ゲイの『バッド・フェミニスト』。まだ途中までしか読めていないけれど、きっとなんらかの手助けになるとおもいます。

ルールがわからない


「きょうは〇〇ということをします。△△というのがルールです」と言われてもまったくぴんとこない人生を歩んできた。

 たとえば小学校ではじめて習う球技や算数の方程式が最初はほんとうにわからない。やっていくうちに「ああ、こういうことなんだな」と、なんとなく納得するのでなにかを習得するまでにものすごい時間がかかる。先生からは「みおさんはわかるようになるまで時間がかかりますね」と言われてそのとおりだとおもった。

 


 そういうふうにしてきたから私は学校でやること(とくに体育と理系科目。体育はわからないと目に見えてみんなからはずれていくからいやだ。理系科目は最初のルールがわからないとそもそも解けない)が苦手だった。それでも国語と社会は本を読んでいればなんとかなることが多かったので本の虫だった私の救いだった。

 ルールをなんとなく理解するまで、ほんとうにおおくの時間を要したから、クラスではつねに私は「文系科目以外あんまりできない子」だったしじっさいもそうだった。でも「わかればできる子」でもあったので授業についていけなくても学期末までにはなんとかなっていたし成績も悪くなかった。中学までは。

 高校はこわい。びゅんびゅんと授業が進む。完全についていけなくなった。期末までに巻き返せない。やっとわかりかけたころには学年がかわっている。そして気がつけばどこの大学にも推薦では入れないような評定と、私立文系しか目指せないような頭ができあがっていた。

 なんとか大学には入れたものの、やっぱりルールがわからなくて困った。さいわいにもともだちができたおかげでレポートにはどんなことを書くのかとか、それをいつまでにどこに出すのかとか、テスト期間はどう過ごせばいいのかとかそういうことを懇切丁寧に教えてもらって、からがら単位を落とすことはなかった。大学院にも進学できた。

 大学ではいかに自分がなにもできないやつかを痛いほどおもい知らされた。サークルに科目選択、新しい人間関係の構築の仕方に麦茶の淹れ方。高校までは周囲の手厚いサポートやなんとなくできあがっていた自分のなかのマニュアルどおりに動けばなんとかなっていたようなほんのささいな部分がどうにもならなくて、ストレスで不正出血が数ヶ月つづいた。

 科目選択の仕方やレポートの書き方なんかは教員から教えてもらえたが、この、「教員から」という部分がどうしても難しく、いくら聞いても理解できなかった。ともだちから聞いたらわかったのでいかに私の凸凹に寄り添ってくれるかという問題でもあるのだとおもう。どういういきさつでできたのかは忘れてしまったが、大学時代はおおくのともだちに恵まれたしいまでもなかよくしてもらっている。たぶん向こうから話しかけてくれたのだとおもう。感謝。

 


 この「ルールがわからない」問題は残念ながらいまもつづいている。人間関係から就労にいたるまで、ルールというものはいつまでもつきまとってくる。人間関係では、好意を伝えただけでどうして「つき合う」にいたるのかがわからないし、就労(というかシューカツ)では、なにを求められていてどうすれば対応できるのかがわからない。

 どうして「〇〇のためにはやっぱり△△というルールをまもらなきゃ」いけないのがわからなさすぎる。なぜここまで客観的に、というか俯瞰してものごとをみることができないのだろう。

 


 私はブログをおのれのパンドラの匣をひらいてかきまぜて放出するためのツールとしてつかっているが、書きながら「なんで私はこんなにもなにもできないしわからないのか」ということをおもいしらされて、自分で自分を殴り、つらくなってきた。きょうはここまでにする。パンドラの匣をひらいたさきに希望はほんとうにのこってくれるのだろうか。

きょうも生きている/生きていく


 誕生日がきて、27歳になった。もう20代半ばなんて言っていられなくなったことにすこしのさみしさを感じつつも、きょうまで生きてこられたことに安堵する。そして、ついこのあいだ25歳で亡くなってしまったあの子についてかんがえてしまう。私よりふたつ歳下だったあの子。私はあの子と直接のかかわりはなかったし、そういう子がいるってことをなんとなく知っているくらいだった。だけどニュースをみて、ああ、もういないんだな、という事実がいたいほど押し寄せてきた。

 


 すこしまえのあの子にかんする報道のときから、大丈夫かな、とはおもっていた。でもそのあとはとくになにかが報じられることもなく、なにもわからない状態がつづいていた。そして数日前、あの子が亡くなったというニュースが流れてきた。

 このニュースにかんして私は部外者である。けれど、ほんとうに部外者なの?あの子のいた組織の体制を責めながらもそこから提供される娯楽を享受してきた私はあの子を追いつめたひとりなのではないの?

 


 もうなにがほんとうのことなのかわからないし、ほんとうにあったことはずっと隠蔽されつづけるんだろうなとおもうとうんざりする。それで、そういう組織の体制に加担してきたじぶんがいやになる。

 


 私も一時期あの子のいた世界を夢みていた。ぜったいにそこに入ってやる、とおもっていた。結果は散々だったけれど。だからそこに入れた、夢をつかめたひとたちには勝手に期待していた。よくもわるくも。あの子は夢をつかんだもうひとりの私だった。

 


 私はきっとこのさきも生きていく。27歳をすぎて、28歳になって、もっともっと歳を重ねておばあちゃんになる。あの子のぶんまで生きようなんて傲慢なことは思わない。それでも残された私は、もうあの子みたいなひとが出ないように、動いていくしかない。私は、あの子を追いつめたあらゆるものをゆるさない。あの子の尊厳をめちゃくちゃにして、ほったらかして、命すらまともに守れなかったやつらをゆるさない。そのために生きて、生きて、生き抜いて、いつかあいつらが滅ぶのを見届けてやる。

クワロマンティックのレズビアンだけど男性と結婚したい


 pairsとかOmiaiとかやってる、と言うとたいていおどろかれる。それはきっと私がクワロマンティックのレズビアンを公言しているにもかかわらず、異性愛の、しかも婚活を目的としたマッチングアプリをしているからだろう。

「こどもがほしいとか?」「遺産とか相続の関係?」ときかれることもあるが、こどもはほしくないしいまのところ遺産などのごたごたもない。ではどうしてなのか、というとこれにもうまくこたえられず、どうしたものかといつも頭を抱えている。

 親や親戚からの「結婚すべし」の圧はない。むしろ「結婚しなくても生きていける」と言われて育った。カミングアウトしてからはさらに自由にするように言われた。それでも、私は男性との「結婚」にたいしてよくわからない願望を抱いてしまうのだ。

 ただ言えるのは、女性が相手だとクワロマンティック性が暴走する可能性があるので、男性がいいとおもっていることくらいだ。

 


 ただの夢見がちなあこがれかもしれない。一方的な幻想かもしれない。でも、私は、それが、どうしてもほしいのだ。どうしようもなく手に入れたくて仕方がなくて毎日毎日アプリをいじる手を止められない。『あのこは貴族』の華子の気持ちがいたいほどわかる。だれでもよくて、だれでもよくなくて、かけがえのない、ただひとりのひと。そのひとが私の人生に颯爽とあらわれてこの生活を劇的に変化させてくれるのではないかという、期待。

 


 呪縛なのかもしれない、ともおもう。異性とされるひととペアを組んで、国家に承認される。祝福される。その祝福がほしいんじゃないかとか、マジョリティに紛れることでマイノリティ性から目を背けようとしているんじゃないかとか。規範意識にとらわれているんじゃないかとも。でも、もしそうだとしてそれのなにがわるいというのだろう。問題なのは婚姻制度をつかえるひととつかえないひとがいることであって、さらには婚姻制度にまつわるあらゆる前時代的なシステムの数々(戸籍制度、強制的夫婦同姓といったことがら)である。

 呪縛由来だとしても夢を見ることを否定するのってどうなのよ、とおもう。

すこやか〜 にこにこ


 今後ぜったいに重ならない人生を歩むであろう(たとえば電車で乗り合わせた)ひとと本の趣味が一緒だったり、むかし母がはじめて私に「似合う」ものを教えてくれたお店が閉店したり、生理周期を把握するためのアプリにその日の体調を打ち込んだり、そういうことで私の日常は構成されているわけだが、そのひとつひとつにいちいち反応してめちゃくちゃになってしまう。それでぜんぶがどうでもいいみたいなふりをしてぜんぶどうでもよくないから傷つく。じぶんでじぶんを傷つける。

 


 フリック入力ができなくてiPhoneガラケーみたいな打ちかたをしてしまうことも、ひとの善意にたいしてうまく対応できなくて「ありがとう」のあとに余白がうまれてしまうことも、すごくすごく気にしてる。ほんとうは気にしたほうがいいことを気にしないでいること、気にしなくてもいいことを気にしていることはたぶん間違っているんだろうけど、それをただせるほどの柔軟性も、じぶんを見つめなおせるだけの胆力もない。

 


 幼馴染と行ったプールの写真を見せたらきっとまた痩せろと言われるのだろうなとだいたいの予測がついてしまうことや、首に傷跡がのこっていることで髪を切ることを禁止されているけれど髪を切りたくてほんとうに切ったら怒られるのだろうなということに涙が出る。私の身体にはだれもがかんたんに介入できる。身体へのアクセスだけは良好。

 


 じぶんの他者にたいする圧倒的な支配欲と独占欲を巨大感情のひとことでおわらせてしまうことに違和感がある。他者への執着をもうすこしだけべつのところに向けられたらいいのに、とおもう。

 


 まとまらないことをつらつら書きつづけるだけの機械になってしまったみたいで苦しい。もうちょっとはおもしろみがほしかった。

ぼくは ほぼ半月のあいだずっと考え続けていた ぼくの生と死と それからひとりの友人について


 ともだちをひとり失ってしまった。私が病んで試し行動をしてしまったり、自死をほのめかすようなことをなんどもくりかえしてしまったからだ。そのひとはひとの死やいたみにたいしてひと一倍敏感で、傷つきやすかった。

 


 そのひとと知り合ったのもさいきんのことだ。急速に仲良くなって、光の速さで破滅した。何もかもをブロックされてしまった。唯一見られるのはブログだけ。でもそこに私は登場しない。でもーーでも、そのひとは死んでも私を忘れまい、という自負だけはある。ぜったいに忘れさせてなんかやるもんか、とおもう。

 


 きっとそのひとのブログに私は登場しない。これからも、ずっと。それでも私という存在がいたことの爪痕はじゅうぶんすぎるほどにのこしたとおもう。そのひととの思い出はかなり強烈で、松浦理英子津村記久子青山七恵を足して割らないような小説がいくつも書けるとおもう。

 


 たくさん傷つけて、ひどいこと言ってごめんなさい。ゆるしてほしいなんておもわない。でも、私を忘れないで!!

ちょうどいいところでやめられるひとがハッピーエンドよ


 一部のひとにとってはざんねんなおしらせかもしれないが生きている。

 傷が微妙に深いせいであんまり首を動かせない。不便だ。

 


 それにしてもなにかにつけいのちをかんたんにほうりだしてしまえるじぶんがいるのがこわい。ふだん〈生〉について大切にしているつもりなのに、なにかあるとすぐにそれを手放そうとする。大切にできていないしトカゲのしっぽみたい。