絶対運命黙示録

だいたいツイッターにいます@wenoim

じぶんを愛せない私への手紙


 お元気ですか。きっとそうではないでしょうね。だって私はいま、じぶんを愛せていないから。じぶんを愛さなくてはいけないなんてことはないのだろうけれど、この先ながいながい年月をじぶんとしてやっていくにはなんらかのかたちでじぶんを肯定する必要があって、そうしないととてもじゃないけどやっていけそうにないから。じぶんを肯定することがじぶんを愛することとイコールではないともおもうけど。

 


 私がなぜじぶんを愛せていないのか、いま現在の状況から判断して分析してみます。

 いま、世界のあちこちで戦争や、虐殺が起きています。私は時間があって、体力もわずかながらあって、状況を調べたり、どこにどう支援したらいいのかの判断ができる状態にあります。そしてデモに行くことも。しかし、私はそうしていません。布団の中で眠りこけることしかできていないのです。できることがあるはずなのに、できていないのです。

 ほかにもあります。たとえば私の好きだった劇団について。私は10年以上その劇団の追っかけをして、ある程度の内部事情を知っていました。そこはパワハラの温床でした。私のすきなひとがなんらかのかたちでそういうことに加担していた、もしくは被害に遭っていたことはわかっていたはずなのに、ずっとだんまりを決め込んでしまっていました。その結果、取り返しのつかない事態が起きてしまいました。私はもうその劇団を無条件に肯定したり、応援したりできません。それなのに愛はあるのです。執着かもしれません。

 


 なんだかんだ言いつつも私は結局私のことを愛しているのかもしれません。でも、どうしても受け入れられない、認められないぶぶんが確かにあります。

 


 課題図書を出そうとおもいます。竹村和子の『愛について』とロクサーヌ・ゲイの『バッド・フェミニスト』。まだ途中までしか読めていないけれど、きっとなんらかの手助けになるとおもいます。