絶対運命黙示録

だいたいツイッターにいます@wenoim

ルールがわからない


「きょうは〇〇ということをします。△△というのがルールです」と言われてもまったくぴんとこない人生を歩んできた。

 たとえば小学校ではじめて習う球技や算数の方程式が最初はほんとうにわからない。やっていくうちに「ああ、こういうことなんだな」と、なんとなく納得するのでなにかを習得するまでにものすごい時間がかかる。先生からは「みおさんはわかるようになるまで時間がかかりますね」と言われてそのとおりだとおもった。

 


 そういうふうにしてきたから私は学校でやること(とくに体育と理系科目。体育はわからないと目に見えてみんなからはずれていくからいやだ。理系科目は最初のルールがわからないとそもそも解けない)が苦手だった。それでも国語と社会は本を読んでいればなんとかなることが多かったので本の虫だった私の救いだった。

 ルールをなんとなく理解するまで、ほんとうにおおくの時間を要したから、クラスではつねに私は「文系科目以外あんまりできない子」だったしじっさいもそうだった。でも「わかればできる子」でもあったので授業についていけなくても学期末までにはなんとかなっていたし成績も悪くなかった。中学までは。

 高校はこわい。びゅんびゅんと授業が進む。完全についていけなくなった。期末までに巻き返せない。やっとわかりかけたころには学年がかわっている。そして気がつけばどこの大学にも推薦では入れないような評定と、私立文系しか目指せないような頭ができあがっていた。

 なんとか大学には入れたものの、やっぱりルールがわからなくて困った。さいわいにもともだちができたおかげでレポートにはどんなことを書くのかとか、それをいつまでにどこに出すのかとか、テスト期間はどう過ごせばいいのかとかそういうことを懇切丁寧に教えてもらって、からがら単位を落とすことはなかった。大学院にも進学できた。

 大学ではいかに自分がなにもできないやつかを痛いほどおもい知らされた。サークルに科目選択、新しい人間関係の構築の仕方に麦茶の淹れ方。高校までは周囲の手厚いサポートやなんとなくできあがっていた自分のなかのマニュアルどおりに動けばなんとかなっていたようなほんのささいな部分がどうにもならなくて、ストレスで不正出血が数ヶ月つづいた。

 科目選択の仕方やレポートの書き方なんかは教員から教えてもらえたが、この、「教員から」という部分がどうしても難しく、いくら聞いても理解できなかった。ともだちから聞いたらわかったのでいかに私の凸凹に寄り添ってくれるかという問題でもあるのだとおもう。どういういきさつでできたのかは忘れてしまったが、大学時代はおおくのともだちに恵まれたしいまでもなかよくしてもらっている。たぶん向こうから話しかけてくれたのだとおもう。感謝。

 


 この「ルールがわからない」問題は残念ながらいまもつづいている。人間関係から就労にいたるまで、ルールというものはいつまでもつきまとってくる。人間関係では、好意を伝えただけでどうして「つき合う」にいたるのかがわからないし、就労(というかシューカツ)では、なにを求められていてどうすれば対応できるのかがわからない。

 どうして「〇〇のためにはやっぱり△△というルールをまもらなきゃ」いけないのがわからなさすぎる。なぜここまで客観的に、というか俯瞰してものごとをみることができないのだろう。

 


 私はブログをおのれのパンドラの匣をひらいてかきまぜて放出するためのツールとしてつかっているが、書きながら「なんで私はこんなにもなにもできないしわからないのか」ということをおもいしらされて、自分で自分を殴り、つらくなってきた。きょうはここまでにする。パンドラの匣をひらいたさきに希望はほんとうにのこってくれるのだろうか。