きょうは『クィア・アートの世界』という本が発売されるらしい。とても分厚い本で、4,200円(+税)もするらしい。
ついにクィア・アートが大々的に研究された待望の一冊が出る!!
これは今朝の私だ。ツイッターでこのような本が出るということを知り、ぜったいに読みたいとおもっていた。
昼休み、近くの美術系の本が充実している書店に行くと、あった。想像よりもずっと大きな本が置かれていた。シュリンクしていない見本誌もあった。私は見本誌を手にとると、ぱらぱらとめくってみた。
ぜんぜんちがった……。
「クィア」とは、もともと「おかしな」、「奇妙な」といった侮蔑語だった。しかしそれを使われたレズビアンやゲイなどのセクシュアルマイノリティたちがじぶんたちのものとして再領有してきた歴史がある。
著者は、それを、もとの意味に戻そうとしていた。
すべてのアートは自由でクィア(ちょっと変わった、不思議)である
これは本の帯に印刷されたキャッチフレーズ。
私たちが、あまたの傷つきやたたかいのすえに勝ちとったことばが、もとに戻されようとしていた。
ふざけるな!!
それでも読む手を止められなかった。怒りで手が震えた。おしゃれでいまどきの装丁に図版の数々。図版、図版、図版……。ほとんど図版だった。目次にはさまざまなトピックスが並んでいたが、内容は薄く、(ああ、フェミニズムやクィア理論は専門外なのね……)とおもわざるをえなかった。
「クィア」とはおしゃれでも、いまどきでもない。目新しいことばを使ってみたい気持ちもわかるがそうではない。ひとの、歴史を、営みを、たたかいを、踏みにじらないでほしい。
また、著者のホームページ( https://www.unnohiroshi.com 、2022年9月14日閲覧)にはこうある。
美術史は、これまで、美を中立に保とうとし、性との関わりを避けてきました。
クィア・アート史などというものが成立するのかどうか、わからないのですが、ともかくそれを書いてみました。
美術史は学問のひとつとして誕生してからずっと、美を中立に保とうとしてきたことなんか、ない。性とのかかわりを避けていたかもしれないが、それらは不可分だった。
美術の、アートの歴史のなかにクィアはつねにすでに存在していて、その成立可能性を疑問視することは、クィアたちの〈生〉の否定につながる。
勝手に期待して勝手に失望した私も悪い。だが、紹介というかたちで私たちを見世物にするならやめてほしい。