小学校のとき、共学だった。男女比が5:12で女子の方が多かったうえに人数もかなり少なく、男女の違いなどをあまり意識するような年齢や環境ではなかったせいかそれぞれがそれぞれであった。児童会長も適性のある子が選ばれ、男子だったり女子だったりした。そのなかで私は「人間」になりきれないなにかだったようにおもう。とにかくのびのびしていても「だいじょうぶ」な環境だった。
中学のときも、共学だった。男女比は半々くらい。人数は少なめだった。
私はじぶんを「人間」であると認識する以前に「女子」であることを強要され、しぶしぶ「女子」をしていた。ここでの「女子」とは「男子」の後ろを歩き、生徒会長にはなれない存在だった。「生徒会長は男子がするもの」などという校則なんてなかったけれど、生徒会に立候補するときは「男子」が生徒会長、「女子」が副会長になるように調整されていた。
そこでは、私は「人間」になることを許されていなかったようにおもう。
志望校は女子校だった。その高校に進学した先輩たちがのびのびした雰囲気になっていたことや、女子校出身の母や祖母から楽しかった思い出話を聞かされていたから選んだ。
高校でやっと女子校になった。入学したとき、「女子」であることを不必要に求められることがなくなってほっとした。「人間」の輪郭を取り戻したような気がした。「他者に干渉するよりじぶんの好きなことをしていたい」ひとが圧倒的に多く、私がなんであってもよかった。
それでもときどき起こる性被害や教師からのセクハラ発言により、やっと獲得したはずの「人間」のかたちより先に「女子」のあるべきかたち、のようなものが出てきた。
大学は共学にした。入りたい学科がそこにしかなかったから。
大学は自由だった。必修科目以外は自由に履修できたし、仲良しグループにも入れた。仲良しグループでは、「女子」(中学時代の「女子」と同義、「人間」でいられる権利を剥奪された状態)でいてもいなくても「だいじょうぶ」な環境だった。
ただ、グリークラブのマネージャーをしていたともだちは「女子」でいることを強要される場面が多々あったようだ。問題。
私がここで言いたいのは、私が私でいられたりいられなかったりしたのは「環境」要件がほとんどで、「女子校」がそこまで大きなものであるとはおもえない、ということだ。
共学にいても「人間」でいられたひともいれば女子校でも「人間」であることをゆるされず、「女子」を求められたひともいるだろう。
私はたまたま恵まれた環境にいられた期間があっただけのようにおもうし、それがたまたま女子校の時期だったのだろうとおもう。