絶対運命黙示録

だいたいツイッターにいます@wenoim

交換日記をしている⑤

 

2022年3月17日


 具合が悪くずっと寝込んでいました。寝込む日とアクティブな日が交互に来てしんどいです。今日は名付けえぬ関係にあるひとの書いた卒論を読んでいました。75000字もあってしかも違う専攻のものなので読むのが大変でした。クオリティが高くて驚きでした。卒論でここまで書けるのだからアカデミアに残ればいいのに、とも思うのですが本人はそうでもないらしいです。

 

 

 

2022年3月25日


 気圧の変化が激しくやはり体調を崩していました。シューカツもしていますがエントリーシートやらオンライン説明会やらがあって大変です。

 最近はアニメ『平家物語』がすごいとおもっていて、主人公のびわという少女の視点のありかをずっと考えています。びわは未来が見える眼と故人が見える眼の両方を持っています。それはいわゆる「正常な」眼ではなく、「クィアな」眼、という状態なのですが、びわが異性装をしていることも含めてかなりクィアな物語になっているとおもいます。語り手としての主体/客体が男性/女性と考えられてきたとするならば、びわの存在はそれを攪乱しうるとおもうのです。

 

 

 

2022年4月2日


 少し動いただけですぐに疲れて寝込んでしまいます。

 そんな中でも本屋さんに同人誌やZINEを置いていただいたり、そこでほかに同人誌をつくっている方との出会いがあったり、論文が雑誌に載ったりして、嬉しいことは意外と多くあるものです。

 最近は書くことについてずっと考えてしまいます。書くことは誰かを傷つけうる、ある意味では暴力的でおそろしいものですが、一方で誰かの書いたものに救われることもあります。相反するふたつのことが同時に起こることが書くことだと思うのです。私は自分の書くものが誰かを傷つけるかもしれないことを自覚しながら、それでもなにか書き続けたいなと思っています。私がなにかを発信することで誰かを救いたいと思うのは傲慢かもしれません。それでも私は自分の文章が好きですし、それによって救われる人がいることも知っています。私にとって書くことは生きることです。それで食べていけるとかそういうことではなく、ただたんになにかを書きたいと思うのです。

 

 

 

2022年4月3日


 すさまじいまでの孤独に襲われていました。かつて2年ほど付き合っていた相手に新しく恋人ができたことをほんとうならばよろこばないといけないのでしょうが、どうしようもなくさびしくおもいました。

 だれかと付き合っても、同じ熱量の好きが返ってくるわけではありませんし、それはそれで孤独なのだとおもいます。ですが、私とあなたが違うこと、その違いの輪郭線をなぞることができるというのは親密な間柄でしかできないことで、そういうことを私はしたいのだとおもうのです。

 付き合っていなくても私のことを大切にしてくれるひとはいます。でも、付き合っているという名付けがもたらす親密性をどうしようもなく求めてしまうのです。

 いつかこの孤独が遠くへと押しやられてひとりでも生きていけるような日が来ることを祈っています。

 

 

 

2022年4月7日


 私のZINEを置いてくださっている本屋さんのひとつにお伺いしました。半分ほどが売れていて、なかにはご親戚用にと同じZINEの2冊目を買ってくださった方もいるみたいです。

 また、先日論文が出身大学院の発行する雑誌に載ったのですが、それを学部時代の指導教員におくらせていただいたところ、感想のメールが来ました。

 嬉しいことばかりの1日でしたが、企業からは不採用メールが立て続けに送られてきます。年金の納付書も届いてしまいました。働けるようになりたいです。